もう、虚空に向かって叫ぶSNSには戻りたくない
はじめに
記事を書いていて、ふと手が止まることがあります。
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これは本当に、自分の言葉なのか。
読まれるように整えた文章。
目に止まるように考えたタイトル。
共感されやすいように削った表現。
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それを眺めていると、少しだけ不安になります。
これは本音なのか。
それとも、SNSに合わせて作った言葉なのか。
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この迷いは、たぶん消えません。
でも、最近は少しだけ答えが見えてきました。
正直に書いても、誰も見に来なかった
過去の自分は、かなり正直に書いていました。
好きなことを書いていました。
その時々で思ったことを、そのまま投稿していました。
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嘘はなかった。
でも、誰も見に来ませんでした。
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ただ画面に向かって、自分の声だけが残っている感覚がありました。
虚空に向かって叫んでいるようなSNS。
あの感じを、もう一度やりたいかと言われると、正直きついです。
SNSは、自分中心には動いていない
承認されたい。
フォロワーを増やしたい。
自分の考えを見てほしい。
その気持ちはあります。
それ自体は、悪いものではありません。
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でも、好き勝手に話しているだけで人の目が止まるほど、SNSは自分中心には動いていません。
ここは少し痛い現実です。
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自分が話したいことと、相手が今受け取れる形は違う。
このズレを見ないまま投稿しても、届かない。
届かないまま続けると、発信はだんだん独り言になります。
好きに書くことと、届くように書くことは矛盾しない
好きに書く人生もいいです。
ゆるく発信する人生もいい。
そこを否定したいわけではありません。
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でも、自分はもう少し先に行きたい。
SNSを、ただの独り言の場所で終わらせたくない。
同じ方向を向く人と出会いたい。
AIと医療の話を、現場に届く形で残したい。
病院薬剤師として感じている違和感を、ただの愚痴で終わらせたくない。
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そのためには、届く形に整える必要があります。
これは迎合ではありません。 翻訳です。
自分の言葉を捨てるわけではない
読まれるように書くことは、自分の言葉を捨てることではありません。
自分の言葉を、届く形に整えることです。
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本音をそのまま投げるだけでは届かない。
でも、本音を消してしまっても意味がない。
その間にある、ちょうどいい形を探している。
今の自分は、たぶんそこにいます。
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医療AIの発信も同じです。
AIは便利です。
この一言だけでは、現場には届きません。
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薬剤師が明日どこで使えるのか。
何をAIに任せて、何を人間が見るのか。
患者さんに不利益が出ないように、どこで止まるのか。
そこまで翻訳して、やっと届く。
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好きに語るだけでは足りません
まず、相手の世界に入る
交流も同じでした。
自分を見てほしい。
自分を認めてほしい。
その気持ちが前に出すぎると、相手の世界に入れません。
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まず見る。
相手の発信に反応する。
学ばせてもらう。
同じ場所に立ってみる。
コミュニティの空気を知る。
自分のことを語るのは、その後でも遅くありません。
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これはDAOに入ったときの感覚にも近いです。
いきなり自分の正しさを叫ぶ人より、まず手を動かして、少しずつ信頼を積む人の言葉のほうが届く。
SNSも同じです。
つながりたいなら、先に相手を見る必要がある。
今のあなたに必要なチェックリスト
記事を書く前に、今はこのくらいで確認しています。
これは自分の違和感から始まっているか
相手が受け取れる入口になっているか
ただの自分語りで終わっていないか
AIや医療の話が現場の言葉に翻訳されているか
読後に、明日ひとつだけ試せるものが残るか
最後に、自分の意思が残っているか
これを全部きれいに満たせる日ばかりではありません。
むしろ、迷いながら書いています。
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でも、迷いながらでも、整える。
本音を消すためではなく、本音を届けるために整える。
もう、流れて消えるだけの投稿には戻りたくない
これまでのSNSのように、ただ投稿して、流れて、消えていく。
その繰り返しには、もう戻りたくありません。
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Substackでは、発信を積み上げたい。
ただの投稿ではなく、思考として残したい。
同じ方向を向く人と、少しずつ関係を作りたい。
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だから今、文章を整えています。
だから今、交流しています。
だから今、攻略しにいっています。
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自分の言葉なのか。
SNSに合わせた言葉なのか。
その問いは、これからも残ります。
でも今は、こう決めています。
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自分の言葉を捨てるのではなく、届く形に整える。
好きに書くことと、読まれるように書くことは矛盾しない。
読まれるように書くことは、迎合ではなく翻訳です
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私はもう、虚空に向かって叫ぶSNSには戻りません。💊




